4D サラリーマン

40歳で海外留学するサラリーマンのブログ

日本人が西洋的になれない理由

イタリアに来て、ずっと感じていた違和感の正体。

 

それは、日本人としてのメンタリティとヨーロッパ人とのそれとのギャップ。

イタリア人は適当だとか、何事もうまくいけば、ラッキーだと考えた方がいいとか、サービスについてもあまり期待しない方がいいとか、そういう先入観で差し引いてなんとかやって来た感じがする。それでも、時に憤り苛立ち、諦める。

 

この状況ってなんで起こるのかな。日本人が真面目だからとか、日本人は過剰サービスだとか、いろいろ意見があって、そのすべてが正しいのだろう。

 

ただ、改めて感じたその違和感の正体

それは「アプローチがすべて真逆」だということ。

 

もちろん、道路のルールなんかもそれに当てはまるのかもしれないけれど、そういう見た目の話だけではなく、すべてが逆なのだ。

 

街の作り方を考えてみても、すべての道路に名前がすべてついている欧州では、「地」が先にある。一方で日本、番地が先にあって道路には名前がない、つまり「図」が先にあるのだ。

 

公園一つとっても、公園を計画してから作る欧州と、余った土地で公園を作る日本との差といえばわかりやすいかもしれない。もちろん、すべてそれには当てはまらないけれど。公園、いや大人も楽しめる緑溢れる公園の数で考えると圧倒的に欧州が勝利する。日本のように、マンションの間にできた公開空地のようなスペースに砂場と申し訳程度の遊具があるような公園は、こちらにはない。

 

「真逆」の例は他にもある。

例えば、働き方。

日本人は、よく欧州の働き方と比較して、働きすぎであるとか、休まなさすぎであるとか、欧州のそれを良いモデルケースとして模範しようとしてきた。

プレミアムフライデーなんて制度も、その一環だろう。

 

こういう議論がなされて結構時が経つけれど、何か解決しただろうか。

いや、たぶんしていないな。少ないながらのサラリーマン生活、比較的「緩め」の企業に勤めていてもなお、欧州的とは言えない。

1週間休むだけで、そんなに!と言う輩がいるのが日本。

 

ここにも「真逆」がある。

日本人は、働く時には曖昧なゴールを設定して、できる限りやりきろうとする。一方で欧州では、曖昧なゴールはあり得ない。なぜなら、曖昧であるならば、自分ごと化しないので誰もやらないからだ。そのため、常にゴールが設定されていて、一人一人のミッションが明確。もちろん、その分テリトリーにうるさく、他の仕事をやろうとはしない。

 

イタリアで、職業適性テストのようなものを受けた際には、設問内容のほとんどが、決められたゴールへの課題解決方法と、問題が起こった際の行動についてだったことを考えても明らかな気がする。

 

簡単に言えば、日本人は余った時間を余暇と呼び、欧州ではバカンスと家族ですごす時間以外を働く時間と考える。

まったくもって逆なのである。

 

金曜日にしても、イタリアは顕著だけれど、、、

16時くらいからみんなソワソワしだす。フライデーナイト!!!てなもんである。

 

日本では、金曜日は月曜日のための準備。という捉え方が多いと思うがどうだろう。

プレミアムフライデーが流行らないのは、金曜日の捉え方が逆だからだ。

 

金曜日は、月曜日のための準備

金曜日は、すべて忘れて楽しむ日

 

この「アプローチが真逆」に気づいてからは、すべて合点いった次第である。

 

サービスに至っては、もっと顕著に真逆だ。

例えば、電車。

欧州では、遅れようがストになろうが、働く人が先にありきでサービスがある。

日本では、遅れればひたすら謝罪アナウンスを流し続ける。サービスがありきで、その次に働く人という順番。

 

地下鉄やバスの駐停車のレベルは日本がトップクラスである。それは、車内でこけたという人からのクレーム対策でもあり、素敵なサービスでもある。

欧州では、かなり激しく揺れる。足腰の弱い人や妊婦さん、子供などは座っていないと本当に危ないのだ。だから、優先座席を占拠する若者はいないし、すぐに席を空けて譲ってくれる。

 

そういう電車やバスに乗っている以上、乗っている人たちで考え、対応する。これでいいのだと思う。日本のある種過剰なサービスと、それを受ける側の過剰な対応が、時にモンスターを生み出すのだろうなとも思えるし。

 

いまや、日本の定時発着などは欧州でも普通だ。1分単位ではないけれど、それはサービスに含めるかどうかの差だ。

レストランにしても、どこにしても過剰にサービスがありきで、それに携わる人の数や食材などに対して、リスペクトがないままに、サービスが先行する日本。

 

問題点を指摘したいわけじゃーない。

 

日本的な発想と、欧州的な発想は真逆だから面白い。

日本人が欧州へ旅行へ出かけ、欧州人が日本に憧れるのもそこにあると思う。

 

レイジーと言われている欧州各国と日本とGDPの差はどれほどだろう。

一方で、幸福度調査では雲泥の差をつけられている。

このことを改めて考えなければいけないフェーズに入っている気がする。

 

日本人には西洋的なゴールを設定しても幸せにはなれないのかもしれない。

でも、夏はみんな休む。正月は休んでがっつりお祝いする。ということを無理矢理にでもやってみるべきではないかな。

 

アプローチが真逆である以上、我々のスタートラインをガラリと変えるか。スタートラインはそのままに、ゴールの設定を変えるか。

知らんけど。

そんなことを考えながら、2018年がやってくる。