4D サラリーマン

40歳で海外留学するサラリーマンのブログ

AT か MT か

ミラノに来て、かれこれ11ヶ月が経とうとしているけれど、日々驚きと発見の連続だ。

今回は、車のATとMTと日本とイタリアについて。

 

ミラノでは、あまり信号がないこともあって、

横断歩道に人がいると車が止まってくれるのだ。

日本だと考えられない、法律では決められているのにね。

 

その止まってくれる際に、MT車がそのほとんどのミラノだと

エンストする人が結構いる。

歩行者もいきなり出てきたりするから、

急に止まらないといけなくて、彼らはいつもエンストしてる。

そして、何もなかったかのようにすぐにリスタートして走り去って行く。

 

日本人は、AT車に慣れていてMT車に乗るのを嫌がる。

その理由のほとんどが「エンストするから」だと思う。

 

今や、日本でAT車以外を探すのは難しく、なんならMT車を選ぶ人を変人扱いする。

一方で、ミラノではAT車がほとんどない。

レンタカーでAT車を借りようものなら、高いし遠いしで散々だ。

 

この違いって、いったいなんで生まれたんだろう。

それこそ車の歴史や、企業の努力、国の対策、いろんな要素が重なった結果にこの違いが出来たわけだろうけれど。。。

 

一番大きな理由としては、ほんの些細な「エンスト(失敗)」を恐るか、恐れないかの違いなのではないかと思うのです。

エンストを気にしない文化と気にする文化の違いが、MT と ATに現れているのではないかということです。

 

僕の周りにいるイタリア人は些細なことは気にしないし、失敗してもすぐリスタートすればええやんと考えている。

実際に、彼らのエンストからのリスタートはすごい早いのだ。

日本人は、どうだろう。エンストすら恐れてしまう国民性になってしまったのではなかろうか。

 

思うに、戦後日本の復興には、今や働き方改革でいろいろと問題はあれども、試行錯誤を繰り返し繰り返し実行し、朝夜問わずに頑張って成功へと導いてきたパワーが欠かせなかったはずなんだよなー。

試行錯誤って、アイデアをプロトタイプして、スクラップビルドしてアウトプットに導くことだと考えると、失敗を恐れていたら何も前に進めないし、何も新しいものは生み出せない。

 

海外で、日本のプロダクトやデザインがウケるのはこういう考え方が、自然とDNAにインプットされたところからアウトプットされたものだからなんだと思う。

 

今やAT王国になった日本がこれからも、海外から尊敬の眼差しでみられる、いわゆる「日本」であり続けられるか、またあり続ける必要があるのかどうかは、大きな議論の余地があるんじゃないかな。

 

もちろん、Wカップにおけるロッカールームやスタジアムの清掃に見受けられる美意識は続けて行くべきだろうけれど、あるものを取り除くだけではなく、ないところに何かを作り出すところに美意識を発揮する日本を再考するタイミングにあると思う。

 

遠くて近いミラノに住んでいて思うのです。