4D サラリーマン

40歳で海外留学するサラリーマンのブログ

カーニバルと祭りとヤンキーと警官

イタリアのお祭りにヤンキーはいない。

もちろん、イタリアにヤンキーがいないわけじゃない。

そこかしこにいる。バスで大声で話していたり、夜な夜な公園で騒いだりしているのも、(見たことないけど)壁に落書きしちゃったりするのも彼らかもしれない。

 

ちなみに、ミラノの街は落書きだらけだ!

 

だけれども、カーニバールという伝統的なお祭りにおいては、彼らは隅にいる。

中心には決していない。中心には、しっかりとした大人と、子供。それを見る人たちという、とても和やかな構成。

 

いつから、日本の祭りはヤンキーが中心になってしまったんだろう。

おおよそ偏見も入っていることは否めないけれど、ヤンキーを見ない祭りは日本狭しといえども、どこにもない。

 

ええおっさんなので、別にヤンキーがいてくれてもいいし、ある意味可愛らしい。とも思うけれど、なぜに中心にいいるのかしら。。。

 

とはいえ一方で、鶏と卵の話になってしまうけれど、ヤンキーがいるおかげ様で、日本の祭りが存続していけるといえる。変な相互関係がここにはあるはずだ。

 

それにしても、日本のヤンキーとイタリアのヤンキー、

もっとも大きな違いは、その所属している社会から、どうおもわれているかを知っているかどうかだと思う。

 

イタリアのヤンキーは知っている。自分たちが置かれている立場を、そのほとんどが移民であることも関係しているとも思う。

かたや、日本のヤンキーは知らない。マイルドとかマイルドじゃないとかそういう話ではなく、自分が世界の中心で何かを叫べば、みんなが聞いてくれると勘違いしている。

 

とはいえ、日本のヤンキーが悪くて、イタリアのヤンキーが良い。というつもりはないし、ヤンキーの良し悪しに言及するつもりはない。

 

なぜ、こんな差が起きるのか。が気になるだけ。

たくさん要因はあるし、答えなんて一つじゃないけど。

 

ここに暮らしてみて、一つだけ言えるとすると、

警察とヤンキーの関係性が大きく違う。

 

イタリアだと、ヤンキー風のやつはカバンの中からズボンまで、隅々までチェックされる。極端にいえば、扱いは暴動予備軍といったところ。

警官に捕まってしまい強制送還される可能性も多分にあるということ。

 

日本だと、ヤンキーは警官と顔見知りなのか、舐めた態度をとる。警官にそこまで権利がないことを知って舐めているのだ。しかも、警官も権利がないために、ほとんど事故を防ぐための交通整理に勤しんでいる始末。。。

この対応の差だけでも、態度がなぜ違うのかの一片が説明できていると思う。

 

個人的には、日本における祭り文化が廃れる事は大反対だ。

ただ、文化的価値の低いものにならないことだけ祈ってやまないのである。