4D サラリーマン

40歳で海外留学するサラリーマンのブログ

ワンちゃんと社会との距離感で、ニッポンを考えてみる。

イタリアにいると、いたるところにペットの犬がいる。

 

いたるところというのは、犬お断り。とされているお店以外ほとんどOK。

 

電車?バス?OK

レストラン?OK

スーパー?OK

洋服店?OK

 

 

このあたりの線引き加減を、あえて「社会との距離感」と今回は呼びたい。

 

去年、日本では「忖度」という言葉が流行ったけれど、この言葉でその距離を説明すると、イタリアでは「忖度」するのは使うお客さん側であり、サービスを提供する側ではないということ。

 

日本の場合、

いろいろな理由はあるにせよ、レストランやスーパー、洋服店、ましてや公共交通機関にゲージなしでペット同行はできない。

その理由って、サービス提供者からお客さんへの「忖度」なんじゃないかなと。

犬を嫌がる他のお客様がいらっしゃるから、不快に思われる方がいらっしゃるから、もしかしたらアレルギーの方もいらっしゃるかもしれないっていう。

だから、最大公約数のお客さんに配慮したという考えのもと、ペット禁止にすることで、サービスの質を向上の一つを表現している。表現しているというか、すでに禁止がベースなので、普通のことかもしれないけれど。

 

イタリアや欧州ではその逆で、

ペットがいる店に入りたくなければ、入らなくていいし、アレルギーのお客さんはそれをお店の人に伝えて、席を離してもらうなりすればいい。もし、その時のお店の態度が気に食わなければ、もう行かなければいいし、お店側もそれでいいと思っている。

つまり、判断をするのはお客さんであって、お店側はいつでもウェルカムなのだ。

ウェルカムというと弊害があるかもだけど、ペットがいるなら一緒にくればいいし、何かあったら出て行ってもうけどねくらいのスタンス。それが自然であり、普通のことなのだ。

この「普通」の感覚がまったく異なる。

 

ペットを飼ってらっしゃる方のペットの接し方、扱い方は、とても紳士的なイメージ。

日本のそれがダメということではなく、世界中みなさん同じようなイメージだけど、それぞれペットへのスタンスが違うなーと。

 

より、社会生活に適合させるために訓練をしているのがイタリアだとすると、より、人間の言うことをきくようにだけ訓練しているのが日本のような気がする。

 

例えば、人間の数倍の嗅覚を持つ犬がレストランにはたくさんいる。みんなお行儀よく寝そべっている。吠えることもたまにはあるけど、テーブルに乗ってきたり走り回ったりはしない。日本ではドッグカフェなんかでたまに見かけるけど、膝の上に乗せていたり、ずっと犬と遊んでいたりと、それやったら公園でせー。と言いたくなる光景をなんども観た。そもそも、レストランでは人間が食事するために入っているのであり、主役は人間。日本だと、カフェでも主役がペットになっている。

つまり、犬を連れていながらも社会生活を普通に送ることのできる欧州と、犬を連れている以上、いろいろと制限はされるし、犬を主体として、人間の方が生活を適合させなければいけない。

 

会社の講演、某有名建築家の先生の話で、一番衝撃だったのは

「とある学校を設計した際に、門までのアプローチが素敵だったから、そのアプローチに、毎年卒業する生徒が桜を植えたらいいと提案した。そしたら、その植える場所が斜面になっているなんて、落ちて怪我でもしたらどうするんですか。とクライアントから言われて、結局その計画はなしになった。よく考えてください。ほとんど傾斜もない斜面に桜の木を植えるだけで、そこから転げ落ちる生徒がおったとして、それを守る必要あるんかい?と。そいつがアホなだけやし、はたまた一生の思い出なるがな。と心の中で叫んだ。(意訳)」

この心の声に、心から同意したい。

まさにこれが、「日本式忖度」なんじゃないかなーと思い出した次第。

彼の話から、「忖度」の究極は「何もしないでおくこと」になるということを学んだ。

 

日本で受けるサービスや、便利な機能なんかはとてもありがたいのだけれど、それはこの「日本式忖度」のなせる技であって、「欧州式忖度」しか受けたことのない方々が、日本にきたらびっくりするのは当たり前だなーと、犬と社会の距離から思う。

 

その昔、社会科の授業で習った、徳川綱吉さんの「生類哀れみの令」を聞いた時の衝撃を思い出した。ペットを飼った経験もないので、なんでそんなアホなこと考えるだーとしか思わなかったけれど、、、

今にして思うと、ペットなんかと哀れんでしまう前は、日本という国でもいい感じに、犬も社会で共存していたんじゃないかなー、今のイタリアみたいに。

 

どっちがいいとか、どっちが素敵とかは、ペットを飼っていない人間が声高に語れないけれど、ペットのみならず、人間と社会との距離を考えた時に、

日本のそれは、近いようでいて、実は世界でもかなり遠い部類に入るんじゃなかろうかと思うのです。

ペットとの距離も遠い上に、人間との距離まで遠くなっているのが、今のニッポン。

 

日本式忖度のその先が、何もしない。ことなのだとすると、人間同士の関わりがより希薄な社会にしかなっていきようがない。そんなに悲しいことはないと思うから。

社会活動にはいろいろな側面があるけれど、サービスを受ける側とサービスを提供する側に分解すると、サービスを受ける側が、サービスを提供する方々へ(ある意味無償の愛を)求めすぎているし、サービスを提供する側の方も低価格でサービスを提供しすぎているのが、今のニッポン。だと思うのです。

 

いきなりペット連れOKにしましょう。とか、そういう話ではなく。。。

自戒の念をこめつつ、サービスを提供くださる方へのリスペクトをもっと持ち、サービスを提供される方にも、もっと自由な選択のできる国になってくれればいいのになーと思う、月曜日。