AIが人間の生活を豊かにするのではなく、人間がAI化することで豊かな世の中がやってきたと錯覚する未来
学校で「Utopia(ユートピア)」について議論する機会があった。
簡単に言ってしまえば、ユートピアとは、人間が理想とする世界のこと。
反対の言葉がデストピア。
テクノロジーの進歩の先に、ユートピアがあると信じてアメリカはサンフランシスコあたりから日々新しいサービスやらたくさん生み出されている。
例えば、UberやらAirbnbやら、お金に関するFintech系も日々進化している。
人間が今まで考えもつかなかった新しいサービスの形や、エンターテイメントの考え方、それに加えて、とても効率的なシステムによる生活の質の変化。
今、新たなテクノロージが日々更新される中で、人類が目指す先にあるユートピアに向けて日々前進しているとも言える。
ただ、便利なサービス。便利なシステムの台頭により、我々はより画一的なサービスに依存した人類に変化していっているのではないかとも思うのだ。
今、若い子たちのスマホに入っているアプリは、サービス系かシェア系かチャット系かのどれかだ。ユートピアに導いてくれるであろうサービス系は、そのほとんどがみな同じアプリをインストールしている。
つまり、素敵なユートピアを目指している人類は、いつの間にやら、テクノロージのパワーにより、とても狭められたハッピーにのみを享受する存在になってしまうのでは。と思えてならない。
だって、みんな同じスマホ使って、同じサービス使って日々を過ごしているんだもの。
もちろん、アナログ一辺倒だった頃に比べれば、格段にサービスの質、楽しみ方なんかは多様化しているし、狭められたと定義するのは難しいかもしれないけれど、とても予測しやすい。って意味で狭いってこと。
AIがもたらすであろう素晴らしい未来だとか、AIによりなくなってしまう仕事。という側面で語られがちな気がしているのだけれど、そのどちらも正解で、そのどちらも実際に起こるんだろうと思う。
ただ、その未来にいる人間ってどうなっているんだろか。
今より幸せなんだろうか。
ユートピアなんてものは、実現してしまったらただの現実で。その頃には違ったユートピアを目指しているべきだろうから、それはそれで幸せの尺度が違うと思うけど。
その未来って、
「人間がAI化する、つまりより画一的な行動をよしとする人類に変化していくことで、画一的なサービスの享受により幸せを感じることができてしまう世界」なんじゃないかなと思っている。
AIが画一的。なんてことを言うと怒られそうだけど、手塚治虫さんの描いて来た未来の中にあるAIのように人格をもったり、愛情をもったりしない。という前提での話。
ドラえもんで描かれているような、とてつもない未来を想像できる人間は、もしかしたらもういないのかもしれない。
ドラえもんのお話で一番好きなところは、みんなアナログな生活をしていながら、普通にドラえもんの持つテクノロジーを享受しているところ。
それを悪用しようとする科学者も出てこないし、ましてや、ドラえもんがいるだけで大金持ちになってもおかしくない野比家のご両親はそれすらしない。
ドラえもんの中で、みんながそうしているように、テクノロジーを享受しながらも人間らしい生活を基盤とする世界が理想かなと思う。
みんながみんな、ドラえもんの超劣化版のテクノロジーを片手に、なんでも叶えられる気持ちにだけなるような未来はいやだなー。
AI技術の進歩がもたらす未来は、人間の生活を「豊か」にすることは間違いないし、その頃には、自分がAIに合わせられた人間に「進化(変化)」している事も気づけないんだろうと思うと、少し怖いと思う、今日この頃。
進化した人類も、人間に、世界に、自然にリスペクトフルであってくれればいいけどね。